岸竹堂 氷柳旭輝図
2022年8月5日
岸駒 猛虎図 大幅
2022年6月9日

本居宣長賛 望月玉川画
【深夜螢 画賛】

夜も更けて、人気の無くなったころにひっそりと漂う蛍の光が見えるかのようです。江戸時代の望月派の絵師・望月玉川の画に、国学者・本居宣長の賛が添えられています。
作品番号
D22-022
作品名
深夜螢 画賛
作者
本居宣長賛 望月玉川画
作品詳細
「深夜螢 さよふけてみしまの夢の螢かな
    月は入ぬる磯の草葉に  宣長」

紙本着色 箱入 (本紙)27×97・(短冊) 6×36 28.5×169cm
少オレ・少傷ミ
作家略歴
【本居宣長】
江戸後期の国学者、医師。伊勢松坂生。名は栄貞。号は芝蘭、瞬庵、春庵。初め堀景山に儒学を学び、荻生徂徠の学風や契沖の古典研究に啓発される。また医学を学んで郷里で開業するかたわら、賀茂真淵に入門して古語の実証的分析を行った。『古事記伝』44巻のほか『源氏物語玉の小櫛』、『玉勝間』の執筆など、国学におけるその功績は大きい。自宅の書斎「鈴屋」で講義を行い、多数の門人を輩出した。国学四大人の一人。享和元年(1801)歿、72歳。

【望月玉川】
江戸後期の画家。望月派3代目。京都生。名は重輝、字は子瑛、号は資清館。南画家望月玉仙の子。幼時に父を失い、はじめ村上東洲に、のち岸駒に師事。長崎に遊んだのち、江戸で谷文晁に教えを受けた。常に四条派の松村月渓の画風を慕い、山水花鳥を能くした。子の望月玉泉も四条派の日本画家として活躍した。嘉永5年(1852)歿、59歳。
価格
120,000円

本居宣長賛 望月玉川画
【深夜螢 画賛】

夜も更けて、人気の無くなったころにひっそりと漂う蛍の光が見えるかのようです。江戸時代の望月派の絵師・望月玉川の画に、国学者・本居宣長の賛が添えられています。
作品番号
D22-022
作品名
深夜螢 画賛
作者
本居宣長賛 望月玉川画
作品詳細
「深夜螢 さよふけてみしまの夢の螢かな
    月は入ぬる磯の草葉に  宣長」

紙本着色 箱入 (本紙)27×97・(短冊) 6×36 28.5×169cm
少オレ・少傷ミ
作家略歴
【本居宣長】
江戸後期の国学者、医師。伊勢松坂生。名は栄貞。号は芝蘭、瞬庵、春庵。初め堀景山に儒学を学び、荻生徂徠の学風や契沖の古典研究に啓発される。また医学を学んで郷里で開業するかたわら、賀茂真淵に入門して古語の実証的分析を行った。『古事記伝』44巻のほか『源氏物語玉の小櫛』、『玉勝間』の執筆など、国学におけるその功績は大きい。自宅の書斎「鈴屋」で講義を行い、多数の門人を輩出した。国学四大人の一人。享和元年(1801)歿、72歳。

【望月玉川】
江戸後期の画家。望月派3代目。京都生。名は重輝、字は子瑛、号は資清館。南画家望月玉仙の子。幼時に父を失い、はじめ村上東洲に、のち岸駒に師事。長崎に遊んだのち、江戸で谷文晁に教えを受けた。常に四条派の松村月渓の画風を慕い、山水花鳥を能くした。子の望月玉泉も四条派の日本画家として活躍した。嘉永5年(1852)歿、59歳。
価格
120,000円

この作品をご覧の方は、
他にもこのような作品をご覧になられています。