狩野晴川院
【瀑布昇鯉図】

木挽町狩野家九代で狩野芳崖と橋本雅邦の師でもある晴川院は、古画の模写に力を入れ、東京国立博物館所蔵分だけでも膨大な量の絵巻などを残しています。こちらは立身出世の定番でもある登竜門を墨と金泥で軽やかに描いています。水しぶきを霧吹きのような技法で表現しており、画面にリズム感が生まれています。
作品番号
D-60
作品名
瀑布昇鯉図
作者
狩野晴川院
作品詳細
絹本水墨金泥 箱入 32×79.5 36×153.5 cm
作家略歴
江戸後期の狩野派の絵師。江戸生。名は養信。通称は庄三郎。会心斎、玉川、晴川院と号す。狩野伊川院栄信の長男。木挽町狩野家九代。江戸幕府奥絵師。画法を父に学び、古絵巻類の模写などを通じて古典的なやまと絵の研鑽を積んだ。文政2年(1819)に法眼、天保5年(1834)法印に叙せられる。江戸城西の丸御殿、ついで本丸御殿の障壁画再建の総指揮を執り、その記録は自身の『公用日記』に詳しい。子に狩野雅信。門下に狩野芳崖、橋本雅邦ら。弘化3年(1846)歿、51歳。
価格
120,000円

狩野晴川院
【瀑布昇鯉図】

木挽町狩野家九代で狩野芳崖と橋本雅邦の師でもある晴川院は、古画の模写に力を入れ、東京国立博物館所蔵分だけでも膨大な量の絵巻などを残しています。こちらは立身出世の定番でもある登竜門を墨と金泥で軽やかに描いています。水しぶきを霧吹きのような技法で表現しており、画面にリズム感が生まれています。
作品番号
D-60
作品名
瀑布昇鯉図
作者
狩野晴川院
作品詳細
絹本水墨金泥 箱入 32×79.5 36×153.5 cm
作家略歴
江戸後期の狩野派の絵師。江戸生。名は養信。通称は庄三郎。会心斎、玉川、晴川院と号す。狩野伊川院栄信の長男。木挽町狩野家九代。江戸幕府奥絵師。画法を父に学び、古絵巻類の模写などを通じて古典的なやまと絵の研鑽を積んだ。文政2年(1819)に法眼、天保5年(1834)法印に叙せられる。江戸城西の丸御殿、ついで本丸御殿の障壁画再建の総指揮を執り、その記録は自身の『公用日記』に詳しい。子に狩野雅信。門下に狩野芳崖、橋本雅邦ら。弘化3年(1846)歿、51歳。
価格
120,000円


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