円山応挙 巌上瀧飛小魚之図
2020年5月23日
長沢芦雪(長澤蘆雪) 牡丹石雀図
2020年5月22日

中村芳中画 大田蜀山人賛
【竹雀画賛】

緑青と金泥によるたらしこみで描かれた青竹に、楽しげに遊ぶ小雀たち。琳派らしい派手さのある作品です。小雀たちの愛らしさと、蜀山人の「ちょっちょとすわれ さけの相手に」という言葉がよく響き、微笑ましさをそえています。
作品番号
D20-034
作品名
竹雀画賛
作者
中村芳中画 大田蜀山人賛
作品詳細
「すゝめとの おやとはとこか
しらねとも ちよつちよと
すわれ さけの 相手に
  四方山人」

絹本着色金泥 箱入 33.5×100 43.5×185cm
作家略歴
【中村芳中】
江戸後期の画家。京都生。名は徳哉、別号に達々・方中・鳳中等。芳中は字とされる。生年は不明だが、江戸琳派の祖・酒井抱一とほぼ同時代人だと考えられる。はじめ文人画風の山水や指頭画を描いたがしだいに琳派へ転じ、たらし込みを駆使した作品を描くようになった。木村兼葭堂の『兼葭堂日記』にその名が登場し、その交遊関係が知られる。大阪に住した。文政2年(1819)歿、享年未詳。

【大田蜀山人】
江戸後期の文人、狂歌師、御家人。江戸生。本名は覃 (ふかし) 。字は子耕。通称直次郎。別号南畝。狂歌名に四方赤良 。狂詩には寝惚先生とも称した。勘定所勤務として幕府官僚であった一方、狂歌、洒落本、漢詩文、狂詩文など多方面に才を発揮。まだ江戸の歴史や文化について深い造詣を示し、それを考察した随筆を数多く記した学者でもあった。谷文晁や酒井抱一、亀田鵬斎らとも交遊をもった。文政6年(1823)歿、75歳。
販売状況
売約済み

中村芳中画 大田蜀山人賛
【竹雀画賛】

緑青と金泥によるたらしこみで描かれた青竹に、楽しげに遊ぶ小雀たち。琳派らしい派手さのある作品です。小雀たちの愛らしさと、蜀山人の「ちょっちょとすわれ さけの相手に」という言葉がよく響き、微笑ましさをそえています。
作品番号
D20-034
作品名
竹雀画賛
作者
中村芳中画 大田蜀山人賛
作品詳細
「すゝめとの おやとはとこか
しらねとも ちよつちよと
すわれ さけの 相手に
  四方山人」

絹本着色金泥 箱入 33.5×100 43.5×185cm
作家略歴
【中村芳中】
江戸後期の画家。京都生。名は徳哉、別号に達々・方中・鳳中等。芳中は字とされる。生年は不明だが、江戸琳派の祖・酒井抱一とほぼ同時代人だと考えられる。はじめ文人画風の山水や指頭画を描いたがしだいに琳派へ転じ、たらし込みを駆使した作品を描くようになった。木村兼葭堂の『兼葭堂日記』にその名が登場し、その交遊関係が知られる。大阪に住した。文政2年(1819)歿、享年未詳。

【大田蜀山人】
江戸後期の文人、狂歌師、御家人。江戸生。本名は覃 (ふかし) 。字は子耕。通称直次郎。別号南畝。狂歌名に四方赤良 。狂詩には寝惚先生とも称した。勘定所勤務として幕府官僚であった一方、狂歌、洒落本、漢詩文、狂詩文など多方面に才を発揮。まだ江戸の歴史や文化について深い造詣を示し、それを考察した随筆を数多く記した学者でもあった。谷文晁や酒井抱一、亀田鵬斎らとも交遊をもった。文政6年(1823)歿、75歳。
販売状況
売約済み

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