作家略歴
【山本梅逸】
江戸後期の文人画家。名古屋生。彫刻師山本有右衛門の長男。名は親亮、字は明卿、初号は梅佚、別号に春園・玉禅・梅華・天道外史等。幼少の頃から画を好み、その才を認められて、尾張画壇のパトロンで古書画の収蔵家として知られる豪商神谷天遊の庇護を受けた。その天遊のもとで中林竹洞に出会い、享和2年にはともに京都に出て、多くの名画を模写するなどして研鑽を積んだ。頼山陽・貫名海屋らと親交があり、詩歌・煎茶・鑑識も能くした。晩年尾張藩の御用絵師となる。安政3年(1856)歿、74歳。
【大窪詩仏】
江戸後期の漢詩人。常陸生。名は行、字は天民、別号に痩梅・詩聖堂等。若くして江戸に遊学し、医学と儒学を学んだ。漢詩に才能を発揮し、市河寛斎、柏木如亭、菊池五山と並んで江戸の四詩家と称せられる。諸州を巡って頼山陽を訪ねるなど、何度も全国に作詩の旅に出ている。また江戸に詩聖堂と呼ばれる詩塾を設け、後輩の育成にも力を注いだ。草書・墨竹画も能くし、谷文晁と交わった。天保8年(1837)歿、71歳。