室町桃山期 梅花三猿図
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入江波光 待春図
2023年10月25日

沖一峨・春木南溟画 菊池五山賛
【雪中水仙小禽 合作】

狩野派の沖一峨、南画家の春木南溟、そして漢詩人の菊池五山。五山はサロン的な場を作り、当時の漢詩界にジャーナリズムをもたらし評価されますが、若き絵師二人の作品に二回りほど年上の五山が賛を入れているところからも、幅広い交流の様子が伺えます。
作品番号
D-47
作品名
雪中水仙小禽 合作
作者
沖一峨・春木南溟画 菊池五山賛
作品詳細
「寒啄梅梢雪
 晴喧竹抄風」

絹本着色 箱入 29.5×76.5 40.5×155.5cm
本紙少シミ・少ウキ
作家略歴
【沖一峨】
江戸後期の狩野派の画家。江戸生。本姓は児玉、名は貞。字は子仰、子卿。別号に淵泉、探三斎、静斎等。鍜治橋狩野家八代探淵に学び、鳥取藩御用絵師・沖探容の養子となり、家督を継ぐ。公務の傍ら谷文晁や酒井抱一ら文化人と多く交流し、狩野派に留まらず、琳派、やまと絵、写生派、文人画等、様々な流派の画風を摂取した。安政2年(1855)歿、60歳。

【春木南溟】
幕末~明治の南画家。江戸生。名ははじめ秀熙、のちに龍。字は敬一、のちに子緝。別号に耕雲漁者、呑山楼など。画家春木南湖の長子。父南湖から南画を学び山水画・花鳥画を能くした。当時の公家や大名家がパトロンにつくなど名声高く、特に土佐藩主山内容堂からの寵愛を受けた。弟の西湖、子の南華、孫の南渓、曽孫の南江もそれぞれ画家として活躍し、門下には田崎草雲らがいる。明治11年(1878)歿、84歳。

【菊池五山】
江戸後期の漢詩人。讃岐生。名は桐孫、字は無絃、通称は佐太夫、別号に娯庵・小釣舎等。高松藩儒の父の跡を継ぎ、同藩に仕えた。柴野栗山の元で儒学を学ぶ。『五山堂詩話』で漢詩の紹介・批評を行い、詩壇に大きな影響を与えた。嘉永2年(1849)歿、81歳。
販売状況
売約済み

沖一峨・春木南溟画 菊池五山賛
【雪中水仙小禽 合作】

狩野派の沖一峨、南画家の春木南溟、そして漢詩人の菊池五山。五山はサロン的な場を作り、当時の漢詩界にジャーナリズムをもたらし評価されますが、若き絵師二人の作品に二回りほど年上の五山が賛を入れているところからも、幅広い交流の様子が伺えます。
作品番号
D-47
作品名
雪中水仙小禽 合作
作者
沖一峨・春木南溟画 菊池五山賛
作品詳細
「寒啄梅梢雪
 晴喧竹抄風」

絹本着色 箱入 29.5×76.5 40.5×155.5cm
本紙少シミ・少ウキ
作家略歴
【沖一峨】
江戸後期の狩野派の画家。江戸生。本姓は児玉、名は貞。字は子仰、子卿。別号に淵泉、探三斎、静斎等。鍜治橋狩野家八代探淵に学び、鳥取藩御用絵師・沖探容の養子となり、家督を継ぐ。公務の傍ら谷文晁や酒井抱一ら文化人と多く交流し、狩野派に留まらず、琳派、やまと絵、写生派、文人画等、様々な流派の画風を摂取した。安政2年(1855)歿、60歳。

【春木南溟】
幕末~明治の南画家。江戸生。名ははじめ秀熙、のちに龍。字は敬一、のちに子緝。別号に耕雲漁者、呑山楼など。画家春木南湖の長子。父南湖から南画を学び山水画・花鳥画を能くした。当時の公家や大名家がパトロンにつくなど名声高く、特に土佐藩主山内容堂からの寵愛を受けた。弟の西湖、子の南華、孫の南渓、曽孫の南江もそれぞれ画家として活躍し、門下には田崎草雲らがいる。明治11年(1878)歿、84歳。

【菊池五山】
江戸後期の漢詩人。讃岐生。名は桐孫、字は無絃、通称は佐太夫、別号に娯庵・小釣舎等。高松藩儒の父の跡を継ぎ、同藩に仕えた。柴野栗山の元で儒学を学ぶ。『五山堂詩話』で漢詩の紹介・批評を行い、詩壇に大きな影響を与えた。嘉永2年(1849)歿、81歳。
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