作家略歴
【沖一峨】
江戸後期の狩野派の画家。江戸生。本姓は児玉、名は貞。字は子仰、子卿。別号に淵泉、探三斎、静斎等。鍜治橋狩野家八代探淵に学び、鳥取藩御用絵師・沖探容の養子となり、家督を継ぐ。公務の傍ら谷文晁や酒井抱一ら文化人と多く交流し、狩野派に留まらず、琳派、やまと絵、写生派、文人画等、様々な流派の画風を摂取した。安政2年(1855)歿、60歳。
【春木南溟】
幕末~明治の南画家。江戸生。名ははじめ秀熙、のちに龍。字は敬一、のちに子緝。別号に耕雲漁者、呑山楼など。画家春木南湖の長子。父南湖から南画を学び山水画・花鳥画を能くした。当時の公家や大名家がパトロンにつくなど名声高く、特に土佐藩主山内容堂からの寵愛を受けた。弟の西湖、子の南華、孫の南渓、曽孫の南江もそれぞれ画家として活躍し、門下には田崎草雲らがいる。明治11年(1878)歿、84歳。
【菊池五山】
江戸後期の漢詩人。讃岐生。名は桐孫、字は無絃、通称は佐太夫、別号に娯庵・小釣舎等。高松藩儒の父の跡を継ぎ、同藩に仕えた。柴野栗山の元で儒学を学ぶ。『五山堂詩話』で漢詩の紹介・批評を行い、詩壇に大きな影響を与えた。嘉永2年(1849)歿、81歳。